なぜゲームコミュニティの記録を残すのか

目次

※この記事は『DEHANA Link』収録の同名記事とまったく同一です。

 

DEHANAはなにを目指して活動しているのか

ここでは、サークルDEHANAがどういうことを目指して活動しているのかを説明してみます。その過程で、「なぜゲームコミュニティの記録を残すのか」という問いを考えます。


コミュニティが蓄積し、生み出し続ける「知」を残す

DEHANAの目的のひとつは、花映塚コミュニティが蓄積し、生み出し続ける「知」を言語化して残すことです。ここでいう「知」にはさまざまなものが含まれています。ゲームの解析情報(データ)、攻略情報(勝つためにはどうすればいいか)、遊び方(変則ルール、バグ)、コミュニティの歴史(どのようなことがあったか、海外ではどうか)などです。


ゲームやコミュニティの情報を残す意義

しかしそもそも、あるゲームの攻略情報やコミュミニティの記録を残す意義はどこにあるのでしょうか。そんなことを調べたり書いたりするのに時間を費やすくらいなら、ゲームをしていたいと思うのが大方のゲーマーの心性かもしれません。

 

端的に答えるなら、ゲームに関する問題に答えるための実例=データを提供できるところに、情報を残す大きな意義があると私は考えています。コミュニティが積み上げてきた屈折や工夫、成功や失敗は、ゲーマー自身やゲーム研究者が参考にできる貴重な「知」であり、共有する価値があります。


花映塚の対戦コミュニティの特徴を考える

例えば花映塚コミュニティのあり方から、ゲームコミュニティ一般の特徴を考えることができます。

 

2010年以降の、私の参加していた花映塚対戦コミュニティの大きな特徴は、マッチングを円滑にするための「身内化」にあると私は考えています。「身内化」とは、コミュニティの内と外を截然と分けて、外との関係をなるべく持たないようにすることを指します。

 

花映塚をオンラインで対戦しようと思ったら、必ずチャットで個別のコミュニケーションを取らねばなりません。ゲーム内にオートマッチ機能がなく、ゲームの外で対戦相手を見つけなければならないからです。また実際に対戦する段では、IPやポート番号を相手に教えなければならず、やはり個別にやり取りする必要があります。

 

コミュニケーションには負荷が掛かります。自分が対戦しようと思っても、同じ時間に相手が見つからないかもしれない。見つかっても相手に断られるかもしれない。そのような時間的・心理的負担を減らすために、気軽にやり取りできる関係性を一定の枠内で作るのではないか。また、このとき内と外を分ける基準は、あるノリを共有できるかどうかによるのではないか。「淫夢」のようなネット文化は、ある時期にコミュニティの共同性を支えていたように思われます。

 

「コミュニティの「身内化」なんてどんなゲームでもそうだろう」と思われるかもしれませんが、上の議論はその要因を探ろうとするところに力点があります。一般化していえば、ゲームの外的要因(花映塚にランダムマッチが実装されておらず、非公式ツールを使うしかないこと)がそのゲームコミュニティのあり方を規定する(身内化する)例と考えることができます。

 

これはあくまで切り口のひとつであり、実際にはもっといろいろな要因を考えることができるでしょう。こうした分析は、一般にゲームコミュニティについて考える材料となります。

 

例えば別の切り口として、コミュニティの活動拠点となるプラットフォームによる、コミュニティの特徴を考えることができるかもしれません。花映塚というゲームひとつを取っても、各種配信サイト(ニコニコ生放送、なんでも実況、PeercastStickam)、チャットルーム(IRCSkype、Discord)、掲示板サービス(ニュー速VIP、したらば掲示板、Twitter)、大学のサークルなど、さまざまな場所にコミュニティが立ち上がってきました。人が集まる場所とそのコミュニティの性質には、なんらかの関係があるだろうか。あるならそれは、そのプラットフォームが持つどのよう性質に由来しているだろうか。


学問に繋げる

他にも、倫理学や認知に関する科学、ゲーム研究*1といった学術的(または学際的)な領域へと繋げていけるトピックがあります。いくつか挙げてみましょう。

 

花映塚は勝敗のつく対人ゲームであるところから、スポーツ倫理学的な問いを立てることもできます。スポーツ倫理学とは、スポーツに関する様々な行為について、善悪の規範を考える学問です。もちろん「善い」「悪い」というのが、そもそもどういうことなのかも検討されます。*2

 

そして「スポーツマンシップとは何か」「なぜ不正行為をしてはいけないのか」のように、リアルスポーツで問われる問題と対戦型デジタルゲームで問われる問題は、ほとんど共通しています。スポーツ倫理に関する定番の問いはもちろんのこと、花映塚コミュニティでは次のような問題が提起されたことがありました。「大会の良いレギュレーションとはどのようなものか」「試合において勝敗にこだわらないことは不正なのか」。言うまでもなくこのような問いは、現在流行りのeスポーツについて考える切り口でもあります。

 

スポーツ倫理に関連してもう一言するなら、花映塚はタイマンのゲームでありながら、間接的に攻撃しあうゲームであるところに大きな特徴があります。「間接的」という言い方には、FPS格闘ゲームといった「直接的」に攻撃しあうゲームとの対比が念頭にあります。「直接性」の有無でプレイヤーに掛かる心理的負荷が大きく異なるのではないか、と感じることが私にはよくあります。これは科学的に扱うこともできそうだし、批評的な論点にすることもできそうです。

 

他に、ゲームと視知覚というトピックもあります。2DSTGで遊んでいると不思議な感覚が生じることがあります。余裕を持って認識していた弾が気がつくといきなり自機の近くにあるように感じて焦ったり、曲がって飛んでくる弾に自分から当たりに行くように動いてしまったり。弾幕の性質や軌道を理解していても、なぜか当たってしまう弾幕があります。その理由を、視知覚の性質から考えることができるかもしれません(cf. 「カーブボール錯視と花映塚」p.10)。

 

重要なことは、こうした問いに気づけるのは、実際にゲームを遊んできた経験があるからだということです。


どのように遊ばれてきたかは、遊んできた自分たちしか知らない

ここまでに、①あるゲームコミュニティで遊んできたからこそ立てられる問いがあること、②いくつかの問いについては実例という形で答えの参考になるデータを引き出せることを確認してきました。

 

どのように遊ばれてきたのかということは、遊んできたプレイヤーたちしか知りません。ゲームの製作者でさえ全容を把握することはできません。しかし現状、花映塚コミュニティの情報は失われつつあります。

 

「ネットにいくらでも情報が残っているではないか」と言いたくなる方もいるでしょう。しかしネットにアップロードされたものが全てちゃんとアーカイブされるわけではないということも、私たちは日々実感しています。テキストはもとより、動画、リプレイファイルなども、ウェブサービスの終了とともに閲覧できなくなることが多い。アーカイブサービスもありますが、それさえすべてを記録しているわけではありません。

 

ゲームそれ自体はアーカイブされても、それがどのように遊ばれてきたのかということは、記録しようとしない限りそのまま消えていきます。しかしそこにある「知」は問いを喚起し、実例を提供するものです。やはり記録し、共有することに意味があると言いたくなります。

 

ゲーム研究者の吉田寛デジタルゲームの保存について次のように書いていますが、この点に私はまったく同意します。

ゲームとは何か、それを一言で定義するのは難しい。だがこれまでの研究者の共通見解によれば、ゲームとはプレイヤーが参加するシステムである。つまりルールやアウトプットと並び、プレイヤーの参加(インタラクション)も、それらと同じ資格で、ゲーム(というシステム)の一部を構成するのであり、そうである以上、それも正当に保存の対象とならねばならない。


もちろん現実には、技術やコストの制約があるため、「ゲーム全体」の保存やデジタルアーカイブ化は困難であろう。しかし、ゲームがインタラクティブなシステムである以上、その保存は、何らかのかたちでプレイヤーの「経験」を含み込まなければならない。*3

 

サークルDEHANAの活動は、花映塚について部分的にこのような役割を果たしています。その成果である同人誌『DEHANA』は国会図書館に納本されており、将来にわたって参照できるようになっています。*4


コミュニティの「知」を言語化する試み

そういうわけで、ゲームに関する広い「知」を考えたとき、花映塚にはまだまだ書かれていないことがたくさんあると思うのですがどうでしょう。

 

*1:ゲーム研究については丁寧な入門書やパンフレットがある。小林信重(編)『デジタルゲーム研究入門:レポート作成から論文執筆まで』ミネルヴァ書房、2020。松永伸司(編)『メディア芸術・研究マッピング ゲーム研究の手引きⅡ』文化庁、2020。

*2:スポーツ倫理学に関しても日本語で読める入門書がいくつか出版されている。ここに3点ほど挙げておく。林芳紀・伊吹友秀『マンガで学ぶスポーツ倫理 : わたしたちはスポーツで何をめざすのか』化学同人、2021。友添秀則(編)『よくわかるスポーツ倫理学ミネルヴァ書房、2017。川谷茂樹『スポーツ倫理学講義』ナカニシヤ出版、2005。

*3:《巻頭言》「デジタルゲームの保存はどうあるべきか」人文情報学月報第112号(2020年11月30日発行)https://www.dhii.jp/DHM/dhm112

*4:Dehana = デ・ハナ : 東方花映塚攻略 (めど): 2021
|書誌詳細|国立国会図書館サーチ https://l.pg1x.com/3yekWhf5Qgy4W2A6A